今日12月11日(金)は昨日が雨振りで、定例の練習が出来なっかたので、規定により、練習活動をしても良い日ですが、今日も生憎の雨でとてもテニスは出来そうにありません。
さて私ごとになるのですが、私は小、中、高、大とスポーツには無関係に過ごしてきました。しいて言えば
昭和27年に入学したその当時としては珍しい中高一貫校で、まだ学校が出来たばかりで設備は木造2階建ての校舎が払い下げになった元陸軍丸亀連隊の練兵場にぽつんと立っている状態でしので、冬場は丸亀城の内堀の外周を3周し天守閣まで登って帰るのが体育の時業の常でした。その当時真面目な生徒だった私は言われるままにその3周と天守閣までの登り下りを約1時間で毎回サボらずに実行していました。その後、学校を卒業してある民間の会社に就職し、10年間あまり東京の郊外に工場兼研究所に勤務しました。昭和47年にその会社が左前になり、東京から撤収する事になり、本当は東京圏内に残りたかったのですが、就職口も見つからず、会社発祥の土地・愛媛県に一緒に付いて行けばなんとか食って行けると上司に説得され、都落ちの気持ちで新入社員教育以来始めての愛媛県に引越してきました。転勤休暇の途中で見た屋島の故郷村の菊人形が美しかったのを覚えています。
それ以後、愛媛の地で同じ会社に停年までお世話になり、10年前に目出度く停年退職を向かえ、その後テニスをして遊んで暮らしてします。
丁度40代に夜間の卓球教室に2,3回入り、その教室の鶴岡先生からマラソンがあるから、最初は3kmから出てみなさいと謂われ出て見ると、そこそこの成績だったので、その後走る様になり、定年前からハーフマラソンを5,6年続けて走りました。ベスト記録は野村町の朝霧湖マラソンの1時間44分だったと記憶しています。3年まえ愛媛マラソンに出場しようと毎日、愛媛県陸上競技場の外周を時間を測定して40日ほど続けて練習したら、タイムは徐々によくなってきましたが、最後の日練習を終わって家に帰ると急に胸が差し込むように痛くなり、息もできません。15分くらい我慢していると平常に戻りましたが、念の為、近くの医院で診察してもらうと、心臓が悪いかもしてないと県中央病院の循環器科に紹介状を書いてくれました。それで、中央病院で診察を受けましたが、どこといって悪い処は発見できず、また元の医院に紹介状の返事を貰い、そこでさしあたりニトロを処方してくれました。それ以後何と言う事もないのですが、用心をして走る事はやめています。
しかし、今年愛媛マラソンのコースが変更になり、それと共に制限時間も4時間から6時間に延長されたのを南海放送のメールで知り、Run net を通じてエントリーしました。
当日は1月31日ですので、まだ一ヶ月半ほど先の事ですが、制限時間が6時間ならジョギングでも完走できるのでは気楽に考え、特別な練習や準備もせずに本番に臨むつもりです。ただ完走を祈るのみです。
posted by Rabbit at 09:08| 愛媛

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